宇都宮地方裁判所 昭和36年(ワ)210号 判決 1963年4月12日
原告 田島玲 外二名
被告 佐藤ヨネ 外一名
主文
(一) 被告らは各自、
原告田島玲に対して金三六万円、
原告田島重男に対して金五万円、
原告田島喜代に対して金五万円
及びそれぞれ右各金銭に対する昭和三六年八月二七日から支払ずみまで年五分の金銭の支払をせよ。
(二) 原告らのその余の請求を棄却する。
(三) 訴訟費用は、被告らの負担とする。
(五) この判決の第一項は、被告らのため原告田島玲が各金六万円、原告田島重男が各金一万円、原告田島喜代が各金一万円の担保を供するときは、それぞれ仮に執行することができる。
事実
(申立)
原告らは、「被告らは各自、原告田島玲に対して金一、四八九、四一六円、原告田島重男及び同田島喜代に対して各金一五万円及びそれぞれ右各金銭に対する昭和三六年八月二七日から支払ずみまで年五分の金銭の支払をせよ。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被告らは、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求めた。
(原告らの請求原因)
一、原告田島玲は、昭和三二年一〇月四日生で、原告田島重男と同田島喜代の長男である。
二、被告佐藤ヨネは、薪炭燃料商を営むものであり、被告坂井大作は、同佐藤の使用人である。
三、原告玲(当時三年六月)は、昭和三六年三月三〇日午後二時二〇分ごろ、宇都宮市錦町二丁目二三番地の自宅から、近所の、楡木街道の北側に面した富川キヨ方へ買物に行き、帰路同人に送られて反対側の道路わきの溝の踏板の上にいたところ、被告坂井(当時一九年)が、被告佐藤の業務のため、煉炭を積んだ第二種原動機付自転車を運転し、右街道を西から東へ通りかかつたが、右車は、時速約八〇キロメートルの猛スピードであつたのと、被告坂井が前方注視義務を怠つていたことが重なつて、道路進行方向右側にあつた原告玲をひき倒し、そのまま一〇メートル程ひきずつたため、同原告は、三ヶ月の入院加療を要する前額頭部剥皮創等の重傷を受けた。被告坂井は、不法行為者として、同佐藤はその使用者としてそれぞれ右事故による損害を賠償すべき義務がある。
四、原告玲は、事故直後から昭和三六年六月七日まで宇都宮市材木町の東外科医院に入院して治療を受け、退院後は自宅で療養しているが、前額頭部の外傷による醜状が残つたほか、右傷害に起因する脳障害(脳けいれん)を起し、森病院、東大附属病院等において診療を受けたが、いずれも全治不可能と診断された。その上かつて温和であつた性格が狂暴性を帯びるものとなり、このため原告玲は将来通常人に伍して社会的に活躍する望みを断たれ、その前途は暗澹たるものがあり、また両親の原告重男、同喜代にとつても、障害児をかかえて前途は容易ならぬものがある。
五、本件事故によつて原告玲の蒙つた損害は次のとおり総計金一、四八九、四一六円に達する。
(一) 将来の利益の喪失 金七〇万円
原告玲の年令の者の平均余命は六一年余であるが、通常人であれば、三〇年に達すると一月平均最低金一五、〇〇〇円の収入をえることができるから、原告玲の三〇年以降の残余の三一年間に期待される収入は、少くとも、一月金一五、〇〇〇円の割合で、合計金五五八万円になるが、ホフマン式計算法により中間利息を控除すると、右金額の現在値は金二、一八八、二三五円となる。本件においては、その内金七〇万円を請求する。
(二) 治療費その他の費用
I 東外科医院関係
1 治療費残(治療費合計金七四、一六〇円から被告佐藤の支払つた金四〇、二三〇円を控除したもの) 金三三、九三〇円
2 入院中食費 金一二、一四三円
3 同雑費 金一、四一五円
4 退院時の医師等へのお礼 金三、五〇〇円
5 子守代(入院中原告喜代が附添つたため、原告玲の弟祥人―生後五ヶ月―の子守を依頼したもの) 金六、〇〇〇円
6 交通費 金二、〇〇〇円
II 森病院関係
1 治療費(昭和三六年六月一〇日から同年八月八日まで通院中の分) 金五、一二七円
2 同(右以降昭和三八年一月までの分) 金一三、四九八円
3 交通費 金八二〇円
III 東大病院関係
1 治療費(昭和三六年六月二一日、同年七月一四日、同月二四日の分) 金二、四四三円
2 交通費 金四、六六〇円
(内訳 宇都宮・東京三往復の国鉄代金三、一〇〇円、ハイヤー代金一、五六〇円)
IV 薬代(昭和三六年六月七日から同年八月二八日までの間に購入した分) 金三、八八〇円
以上合計 金八九、四一六円
(三) 慰藉料 金七〇万円
原告玲が、終生生れもつかぬ癲癇発作に悩む片輪者として世を送ることは、その苦痛甚大なものがあり、あるいは癲癇の発作時期、場所等によつては一命の危険さえ考えられる。その精神的苦痛に対する慰藉料は金七〇万円をもつて相当とする。
六、両親の原告重男・同喜代が同玲の前記傷害によつて受けた精神的打撃は、それぞれ金一五万円をもつて慰藉するのが相当である。
七、よつて、被告ら各自に対して、原告玲は金一、四八九、四一六円、同重男及び同喜代は各金一五万円、及びそれぞれ右各金銭に対する訴状送達の翌日である昭和三六年八月二七日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の支払を求める。
(被告らの答弁)
一、請求原因第一、二項は認める。
二、同第三項中、原告玲が原告ら主張の日時に自宅附近の富川キヨ方へ買物に行つたこと、被告坂井が、同佐藤の業務のため、煉炭を積んだ第二種原動機付自転車を運転し、楡木街道を西から東へ進行し、右富川方附述において原告玲と衝突し、同原告に前額頭部剥皮創の傷害を与えたことは認めるが、その余の事実は否認する。
三、同四項は知らない。
四、第五項中、東外科の治療費が原告ら主張の額であり、そのうち原告ら主張の額を被告佐藤が支払つたことは認めるが、その余の事実は知らない。
五、同第六項は争う。
六、本件事故については、被告坂井に過失がない。すなわち、被告坂井は、原告ら主張の日時に前記自転車を運転して楡木街道の左側を時速約三五キロメートルで進行したところ、前記富川方前を一〇メートル位過ぎた地点で、突然進行方向左側から原告玲が駈け出してきたので、被告坂井は、直ちに急ブレーキをかけたが及ばず、自転車の前部安全桿に突当り顛倒させたのである。
七、仮に本件事故につき被告らに責任があるとしても、原告側においても、原告玲の両親である同重男、同喜代が監護を怠つた過失があるから、損害賠償額の算定につき斟酌されるべきである。
(証拠関係)(省略)
理由
原告重男、同喜代の長男である同玲(当時三年六月)が、昭和三六年三月三〇日午後二時二〇分ごろ、自宅近所の富川キヨ方へ買物に行き、その直後同人方前附近の楡木街道上で被告坂井の運転する第二種原動機付自転車と衝突し、前額頭部剥皮創の傷害を受けたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証から第四号証及び証人森進亮の証言によれば、原告玲は、右衝突のため、右傷害のほか頭部挫創(六ヶ所)、骨膜剥離、右頭頂骨陥没骨折の傷害をも受け、約三ヶ月の入院加療を経て外傷は治癒したが、外傷性癲癇の後遺症を残していることが認められる。
そこで本件事故の原因について考えると、
証人青木ヨネ、同富川キヨ、同東武の各証言、原告重男、同喜代(第一回)被告坂井本人の各供述並びに検証の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 本件事故現場附近の前記楡木街道は、宇都宮市錦町地内をほぼ東西に走るアスフアルト舗装の平坦直線の道路で、見通しは良く、歩車道の区別がなく、幅員は約六・一五メートルである。道路両側には商店住家が立ち並らび、前記富川キヨ方は、右街道北側に面する菓子小売店であり、その正面向い側が金枝丑五郎方であつて、同人方の西側にある路地を通つて約一〇メートルで当時の原告らの自宅に達する。
(二) 原告玲は、本件事故の直前、母の原告喜代から金銭をもらい、ひとりで自宅から富川キヨ方までアイスクリームを買いに来たのであるが、その帰路、富川に送られて一緒に道路を横断し、同人が道路南端の金枝方前の側溝附近に原告玲を置いて引き返したところ、西から東に向けて楡木街道をかなりのスピードで進行して来た被告坂井の原動機付自転車が、道路の進行方向右側にいる原告玲を自転車の前部左側に引つかけ、約二〇メートル道路をななめに同原告をころがしたうえ、あわててブレーキとギヤーを踏みちがえたため、それよりさらに三〇メートルも進んでようやく停車した。その際被告坂井は、接触直前まで道路上に原告玲がいることには気付いていなかつた。
以上の認定に反する被告坂井本人の供述部分は、証人篠原彦、同佐藤彬の各証言及び甲第一一号証の記載は、いずれも採用しない。また、甲第一五証(原告喜代の司法巡査に対する供述調書)には、原告玲が、近所の子供らとアイスクリームを買いに行つた後、前記富川方からその東隣りの方へ行き、それから道路を駈け出した旨の記載があるが、証人清水妙子の証言及び原告喜代本人の供述(第一回)によれば、右記載は、原告喜代が当時事故の状況を誤解していたことに基くものと認められる。その他右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
そうすれば、被告坂井が、車輛の運転者として、絶えず前方の状況を注意し、他人に危害を及ぼさない方法で運転すべき業務上の義務を怠つた事実は明白であり、本件事故は同被告の過失によつて生じたものというべきである。そして、同被告が被告佐藤に使用され、その薪炭燃料商の業務に従事中本件事故を起したことは、被告佐藤の認めるところであるから、被告坂井は不法行為者として、被告佐藤は使用者として、それぞれ本件事故の損害を賠償すべき責任がある。
よつて、原告ら主張の損害について順次判断する。
(一) 将来の利益の喪失
原告らは、原告玲が三〇年に達したとき以降の収入を喪失した旨主張する。そして、原告玲のように外傷性癲癇の後遺症を有する少年が、将来職業の選択あるいは就職に相当の困難を覚えるであろうことは、想像に難くないけれども、専門医である前記森証人の証言によれば、原告玲は、「現在の病状なら服薬しておれば、成人しても平常人と変りないと思う」ということであるから、成人した暁に収入をえる道がないものとは考えられず、結局、右後遺症のために原告玲の将来うべかりし収入が減少するかどうか、減少するとしてもその割合がどの程度であるか、現在の段階では、全く不確実であるといわざるをえない。
従つて、右後遺症による影響の点は、後記慰藉料において考慮されるにとどまり、これを将来の利益の喪失としては算定することができない。
(二) 東外科治療費残
成立に争いのない甲第一三号証、原告重男本人の供述によれば、原告玲は、事故当日から昭和三六年六月七日まで宇都宮市材木町の東外科医院に入院し、その間の治療費として、被告佐藤に支払つてもらつた分のほか、原告ら主張の金三三、九三〇円を支払つたことが認められる。
(三) 右入院中の食費
原告らは、東外科入院中の食費として金一二、一四三円の損害を主張し、原告喜代本人の供述(第一、二回)によれば、入院中原告玲とこれに附添つた同喜代両名の食費の合計が右金額になることが認められるが、近親者の食費や、被害者本人の分であつても日常の食事相当額は、入院中の必要経費とはいうことができないものであり、右金額のうち原告玲の治療のために支出されたいわゆる栄養費がどの程度であるか、確認することができない。
(四) 右入院中の雑費
原告喜代本人の供述(第一回)及びこれにより成立を認めうる甲第一〇号証の一、二によれば右入院中タオル、ちり紙、色紙、炭その他日用雑貨品代として、少くとも原告ら主張の金一、四一五円を支出していることが認められるが、日常生活においても必要とされる品目が多いので、入院中の必要経費としては、右金額のうち金七〇〇円を相当とする。
(五) 退院時の謝礼
前記甲第一〇号証の二及び原告喜代本人の供近(第二回)によれば、東外科退院に際して、医師等に金三、〇〇〇円相当の謝礼を支出していることが認められるが、本件諸般の事情に照らし、右金額は原告らの社会生活上妥当な範囲の経費と認定する。
(六) 右入院中の子守代
原告喜代本人の供述(第一、二回)及びこれにより成立を認めうる甲第九号証の二によれば、右入院中原告喜代が同玲の附添をしたため、その間同人の弟祥人(当時五ヶ月半)の子守を岡田ヒデに依頼し、その費用として金六、〇〇〇円を支払つたことが認められる。
(七) 右入院中の交通費
原告らは、右入院中の交通費として金二、〇〇〇円を主張し、原告喜代本人(第二回)はその旨の供述するが、その明細が不明であり、右金額は確認しがたい。
(八) 森病院治療費
成立に争いのない甲第七号証の一から五、第一六号証及び前記森証人の証言によれば、原告玲は、昭和三六年六月一〇日から現在に至るまで、宇都宮市西原町の森病院に通院して前記傷害の治療を受けているが、昭和三八年一月までの治療費として合計金一八、六二五円を支出したことが認められる。
(九) 右通院中の交通費
原告喜代本人の供述(第二回)によれば、原告玲の歩行が困難であつたため、森病院に通院するためハイヤーを利用し、交通費として少くとも金八二〇円を支出したことが認められる。
(一〇) 東大病院治療費
成立に争いのない甲第八号証の一から九及び原告重男本人の供述によれば、原告玲は、昭和三六年六月二一日、同年七月一四日及び同月二四日の三回にわたり、東大附属病院に通つて前記傷害の治療を受けたが、その治療費として合計金二、四四三円を支出したことが認められる。
(一一) 右通院中の交通費
原告喜代本人の供述(第二回)に本件弁論の全趣旨を綜合すれば、原告玲が東大病院に通院するため、附添人の宇都宮・東京間の国鉄代及びハイヤー代として合計金四、六六〇円を支出したことが認められる。
(一二) 薬代
原告喜代本人の供述(第一回)及びこれにより成立を認めうる甲第一二号証の一から六によれば、昭和三六年六月七日から同年八月二八日までの間、原告玲の栄養剤の費用として合計金三、八八〇円を支出したことが認められる。
以上のとおり、本件事故によつて原告玲の蒙つた物質的損害は、(二)(三)(四)(五)(六)(八)(九)(一〇)(一一)(一二)の合計金七四、〇五八円と認めるのが相当である。ところで、被告らは、本件事故については、原告玲の両親である同重男、同喜代に監護を怠つた過失があると主張するのであるが、確かに、原告玲のような三年六月の幼児をひとりで交通量のある道路を横断させて買物に行かせるということは、最近の交通事情から見て甚だ危険であり、もし、原告喜代が買物に同伴して交通の状況等に万全の注意を払つていたならば、原告玲を本件の危害から防止できたのではないかと考えられるから、本件事故の発生については、原告玲の親権者にも監督上の不注意があつたといわざるをえない。従つてこの点を斟酌し、原告玲の蒙つた右物質的損害の合計金七四、〇五八円のうち被告らの賠償すべき額を金六万円と定める。
(一三) 慰藉料
前記甲第四号証及び第一六号証、本件事故後の原告玲の写真であることに争いのない甲第一四号証の一、二並びに原告重男、同喜代(第一、二回)本人の各供述を綜合すれば、原告玲の本件事故によつて受けた前記前額頭部剥皮創等の傷害は、左眼上部から頭部に傷痕を残したほか一応治療したが、前記外傷性癲癇の後遺症は、今後長期間にわたつて服薬その他の治療を必要とする状態であつて、完全に治療する見込はほとんどなく、同原告は、現在(五年六月)月に二度森病院に通院治療を受け、一日三回服薬しており、一時性格がやや粗暴になつたこともあつたが、最近では発作も起らないため、幼稚園に通つて幸い通常の幼児並の生活をしていることが認められ、これによれば、原告玲が右各傷害によつて受けた精神的肉体的苦痛、特に右後遺症による将来にわたつての苦痛は甚大なものがあり、また、同原告の両親である原告重男、同喜代が同玲の右傷害によつて多大の精神的打撃を受けたことも、察するにあまりある。(原告らは、本件でその請求をしていないが、原告玲の将来の治療費も、自衛隊員である原告重男〔職業の点は、同原告本人の供述から認められる。〕にとつて、決して容易な負担とはいえないであろう。)他方、前記佐藤証人の証言及び被告坂井本人の供述によれば、同被告は、農家の六男で格別の資産をもたない店員であること、被告佐藤家では、本件原動機付自転車のほか自動車二台を使用して、米殼商と薪炭燃料商とを営んでいることが認められる。
これらの事実に本件事故発生の態様、前記原告側の過失その他本件諸般の事情を考慮して、被告らの原告らに対する慰藉料は、原告玲につき金三〇万円、同重男、同喜代につき各金五万円をもつて相当と認める。
従つて、被告らは各自、原告玲に対して前記物質的損害及び慰藉料の合計金三六万円、同重男、同喜代に対して慰藉料各金五万円と、それぞれ右各金銭に対する訴状送達の翌日である昭和三六年八月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の遅延損害金を支払う義務がある。よつて、原告らの請求は、右の範囲において正当として認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九二条、第九三条、仮執行につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 橋本攻)